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法務省が立ち上げた家族法研究会へ意見書を提出しました。

意 見 書

 令和2年6月15日

〒666-0017

兵庫県川西市火打2丁目16番23号

一般財団法人 国際福祉人権研究財団

代表理事 雨谷康弘

(080-3767-2123)

〒103-0025

東京都中央区日本橋茅場町3丁目9番10号

公益社団法人 商事法務研究会 家族法研究会 御中

(研究調査部 03-5614-5633)

前書

代表理事であり意見者である雨谷康弘は,心理カウンセラーとグリーフケアアドバイザーの講習を修了した有資格者である。また子どもの福祉に関わるセミナーに積極的に参加し,様々に情報収集と意見交換を重ねている。そこで,子どもの発達,虐待や体罰,障害,トラウマ,片親疎外,そして親子不分離の原則と,親子再統合(親和構築)の有効性ついて専門性を有している立場にあることを踏まえ,親権と監護権及び子の監護請求(適正措置請求,妨害排除請求)権と共に考察し,子の最善の利益に資する実務運用の重要かつ必要な合理的理由につき意見する。

(子の請求権と親の代理権)

意見の趣旨

1,子の請求権につき,非親権者親(親密な直系血族)に子の代理権を設けるべきか否か意見する。

2,子の請求権につき,自己決定(意見表明)の評価基準を15才として設けるべきか否か意見する。

意見の事由

1,子の代理権は非親権者親(以下非親権者)に設けるべきか否かの検討

ア,最高裁二小決昭和59年7月6日(家月27巻5号35頁),最高裁一小決平成12年5月1日(民集54巻5号1607頁))を経て,平成24年4月1日に民法766条が改正され,非親権者(非身上監護親)にも子の監護の一内容として監護の権利が根拠を有することになった。

横浜家審平成8年4月30日(家月49巻3号75頁)「子の福祉という見地からは,父母のうち監護教育を担当しない親(以下「非親権者親」という。)も,可能な限り親権者親による未成熟子の監護教育に協力することが重要であり,このため,非親権者親と未成熟子が接触・交流の機会を持つことが望まれることから,民法上明文の規定はないけれども,子の監護に関する処分の一環として離婚後の非親権者親による未成熟子との面会交流が肯定されている。」

このように非親権者(非身上監護者)について子に対する監護の行使が認められている。つまり離婚後の親が子を監護する権利者であることは否定されない。そこで子どもの利益(権利)は子ども自身が確保するものであるが,親権に包括されるものか否か子に有する権利によって分かれるものと解されることから,監護の権利者が,子の請求権につき,どのような代理権を行使すべきか検討すべきである。

平成30年3月15日最高裁第一小法廷判決(平成29年(受)第2015号)

「子を監護する父母の一方により国境を越えて日本への連れ去りをされた子が,当該連れ去りをした親の下にとどまるか否かについての意思決定をする場合,当該意思決定は,自身が将来いずれの国を本拠として生活していくのかという問題と関わる」

山口厚判事は,このように基本的平等を照らして偏りを明示した。つまり子は,連れ去りをした親の下にとどまるか否かについての意思決定をする場合,自身が将来いずれの地域を本拠として生活していくのかという問題が生じるのと同様に,自身が将来いずれの能力を主体として生活していくのかという問題が生じる。子は能力を育むにあたり両性から平等に習得しうる一方が欠ければ,子は選択の余地なく偏る。そもそも人によって考え方が違うのであるから,夫婦の考え方が違うという理由で,自分の考えで育てたいという意思の強さから監護権に固執して,相手親から隔離するために私力で連れ去るということ多くあるが,それは支配の側面を強く照らすものであって,子に依存が生じるというものである。

本来,子が自分の思想,良心,宗教,道徳,哲学,趣味など様々な能力を構築することは,言葉の読み書きが困難な幼少期から子は,父と母と,その両方から習得する。スポーツや音楽などに限らず,能力とは幼少のなるべく早い時期から感性を育むことによって,成人となる前後の時期に大きな成果がみられるものである。集団生活において社会的に習得していくものについては,学校などに参加してからであろう。単独親権化で子らに安定した生活基盤がある様にみえても,子には不平等が生じている環境下である事は否めず,私力の行使で親が子を連れ去る場合,夫婦は共同親権中であることが多く,一方の親権が妨害されている,或いは子が自由に人格を形成するための適正な監護を求める権利や非親権者(非身上監護者)に対して子の健全な発達を求め愛育,成育を求める権利が妨害されているというものである。

つまり親と子の身分上で形成する思想や良心,宗教観などは,父子関係で習得するものもあれば,母子関係で習得するものもあって,それは子にとって父子関係と母子関係から個別に教育を受ける権利であり制限されるものではない。子は,その不平等を知らずとも,偏りを自然に修正しようと不自由から解放を求めるが,それは子と親の自然の権利であり,偏りを無くす自然治癒能力或いは動物的本能である。身上監護者の教育に違和を覚えた時,救済を求めることは自然のことであるから,非身上監護者も監督保護者として,その役割が子から求められるものである。親から受ける成育や愛育も原理習得は全て一教育であって,子らの能力に応じて父子関係と母子関係と個別に受ける教育は,プライバシーとして基本的平等でなければならず,子の(利益)権利を最優先に保障しなければならない。

面接交渉と強制執行/釜元修裁判官及び沼田幸雄裁判官(判例タイムズ 1087号42頁)

「面接交渉の審判によって債務者が負うべき義務は,単に債権者と未成年者とを面接させれば足りるというものではなく・・未成年者を包括的な身上監護の義務者として十分にケアし・・積極的に非監護親との交流を確保するべき義務なのであって・・」

このように親権とは子どもの利益(権利)を保護すべき権利と義務に基づき,民法820条はフレンドリーペアレントルール(寛容性の原則)に基づくものとして規定がなされていると解されることは否定されない。

つまり親と子の自然権を照らせば,国内法において離婚後,親権を獲得しうる権利者は単独であるから,自然に有する親子再統合(親和構築実現)につき非親権者と子との自然に有する債務(責務)が単独に有する決定がなされるといえる。そこで非親権者は子の養育に関わる債務(責務)として養育費や面会交流など債務として給付の特定がなされないとしても,別途,調停などによって取り決めなければならない制度となっている。つまり協議離婚などにより別途取り決めを行わない両親の場合,一方に限定して単独に親権者が決定した時点で非親権者は共同親権中に有した債務(責務)が免責され,拒否がまかり通るというものである。

 では別途,それらの取り決めにおいて,争いが増加しているが,子の利益に資する離婚制度を考察すれば,そもそも離婚届に問題がある。離婚届に面会交流と養育費のチェック欄があるが,子を有する親の受理基準と子の有しない親の受理基準が同じである。子に対しても人格権を認めるべきであるから,受理基準が同じであってはならない。

国内法では監護権と親権は分け,調停前置主義に基づき,共同親権中に別居した際,監護者を先に決定することが一般的である。子の監護者を指定する場合の監護権は,基本的には身上監護権に限られる。そこで別居親は面会交流という養育,愛育に関わる子と親の自然権保障を争うことになる。これは別居親の面接交渉権から監護の一内容に関わる権利として認められているが,その根拠は子の監護(妨害排除,適正措置)請求権の代理権者として争うことと合致する。

身上監護者は養育に関わる子の財産管理の代理権を争うことになる。前述した離婚届受理の時点で共同養育計画書などの提出義務など制度化すれば,この問題は裁判所の負担を大きく減少させる効果に期待が持てる。離婚届で行政が関与し,解決の一方法を制度化していれば争いは減る。子にとって両親が争う事こそ望むところではない。

 更に付け加えると,私力の行使(自力救済)で子の居所指定をする拘束者に対し裁判所が監護者として認めるからである。私力の行使(自力救済)で子の居所指定をすることは相手親の親権行使を妨害しており,当然妨害排除請求しうる一方親の親権濫用が思料されるが,子に影響が及ぶことを懸念すべき観点から裁判所が拘束の継続性を継続性の原則に基づき妥当と評価するケースが後を絶たない。

ところで保護命令とは,命令を受けたものが,対象者に対して近寄ってはいけない命令であって,対象者が子の居所を変更しなければならない命令ではない。離婚前に一方親が相手親に同意なく子を連れ去る私力の行使(自力救済)は,離婚後の親権につき奪い合うときに優位にするための動機となっている。従って,生命に関わる言動が検証された真正DVがあれば子については児童相談所のシェルターに救済を求めるべきである。親権停止や喪失を裁判所に求める権限は児童相談所の長が有する。子は児童相談所が公的に救済し,子どもの手続き代理人制度を活用し,家庭裁判所に監護者や親権者の決定を求めることは私力の行使(自力救済)禁止の原則に沿った対応の一方法といえる。

私力の行使(自力救済)で子の居所を指定すれば保護的な合法的な「連れ出し」ではなく違法性の高い支配的な「連れ去り」となり,子に対する「拘束」の状態が継続する。一般的には,その拘束者の支配力がより強まり,子を拘束から釈放しない事で夫婦がより高葛藤化する,或いは紛争が激化する事例が多い。しかし子は自身で生活を整理できず,拘束者の支配から自力で脱出できず離別を強制され,自由権を制限され釈放されないことで依存が生じる。

そこで本来,日本国憲法第14条1項における親子の身分保障や同24条2項,法の下の平等を保障する条項を照らせば,子は社会的身分が違えど,すべての国民は,子どもを含めて法の下に平等として,子についても独立した権利が保障されるべきと解される。従って,実親であっても私力で子を拘束することは相手親に対して親権行使を求める子の請求権が実質妨害されるというものである。

 イ,平成26年9月4日最高裁大法廷決定(裁判長・竹崎博允長官)で非嫡出子が有する権利は嫡出子と同等に保障して,相続を平等に求める権利を認めており,子どもは年齢に囚われていない。

また東京家審昭和39年12月14日(家月17巻4号55頁)

「その権利は未成熟子の福祉を害することがない限り,制限され又は奪われることはない」

大阪家審平成5年12月22日(家月47巻4号45頁)

「子どもは「人格の完成をめざし,心身の健全な発達を求める基本的人権が保障されねばならない(憲法第26条第1項, 教育基本法第1条)」

(中略)人格の円満な発達に不可欠な両親の愛育の享受を求める子の権利としての性質をも有する

昭和54年3月30日最高裁判決(昭和51(オ)328)

「少なくとも親が故意又は過失によつて右義務を懈怠し,その結果,子が不利益を被つたとすれば,親は,子に対して不法行為上の損害賠償義務を負う」

(中略)「未成年の子が両親とともに共同生活をおくることによつて享受することのできる父親からの愛情,父子の共同生活が生み出すところの家庭的生活利益等は,未成年の子の人格形成に強く影響を与えずにはいられないものであり,かつ,人間性の本質に深くかかわり合うものであることを考えると,法律は,それらへの侵害に対しては厚い保護の手を差し延べなければならない

東京家裁八王子支審平成18年1月31日(家月58巻11号79頁)

「家事事件手続法の制定後,子どもは親を介さずに面会交流を申し立てる余地があるので,このような事件が生じることが考えられる。」

つまり子が自由意思による希望を自己決定するにあたり,利害関係人である子が参加すべきとき,子の福祉を基本理念におき,第一義的には自主解決を促すために,子の手続請求(適正措置請求,妨害排除請求)権を保障すべきといえるのである。

子を利害関係人として,その権利性を肯定する判例としては,東京高決昭和42年8月14日(家月20巻3号64頁),大阪家審昭和43年5月23日(家月20巻10号68頁),東京家審昭和44年5月22日(家月22巻3号77頁),大分家中津支部審昭和51年7月22日(家月29巻2号108頁),浦和家審昭和57年4月2日(家月35巻8号108頁),東京家審昭和62年3月21日(家月39巻6号52頁),千葉家審平成1年8月14日(家月42巻8号68頁),岡山家審平成2年12月3日(家月43巻10号38頁),大阪家審平成5年12月22日(家月47巻4号45頁),福岡高決平成11年10月26日(民集54巻5号1607頁),など一部であり現在もなお増え続けている。

これらが示す子の権利性につき妨害が実務運用としてまかり通っているから虐待防止の観点によって共同親権にしなければならない合理的理由があるといえるのである。監護権者に対し2次的に代理権を有するよう明文化すれば解決を模索できるが,現行法では,親権を奪取された親が代理して行えない請求がほとんどである。

虐待をする親権者の下に児童相談所から戻され,親権者との生活に苦慮して自殺した少女の事件では,児童相談所は親権者に対して親権を停止や喪失させず,親権を有しない実親が子を救済するエビデンス確保の為に児童相談所へ開示請求するものの,親権者でないという理由で拒否され続け,少女は自殺したのであって,その開示の請求権をめぐって山口県を相手取り訴訟に至った。

結果として裁判所から親密な直系血族が開示を請求する権利を認める決定が出た。しかし実務ではほとんどが黒塗りで開示されたのである。つまり子と別居親とのプライバシー(自己決定)権と子と同居親とのプライバシー(自己決定)権が個別に保障されておらず,未だ実務として運用に反映されていない。

子の利益のための面会交流(法律文化社)235頁以下

フランス民法典288条

親権行使をしない親は,子の養育及び育成を監督する権利を保持する。

フランス民法典373-2-1条

(父母の)訪問権および宿泊させる権利は,重大な事由によるのでなければ,他方の親に対して拒否できない。

フランスの共同親権制度のもとでは,父母の訪問権の規定は,例外的に単独親権となった時のみに適用される。そして,単独親権者とならなかった親が訪問権を行使する場合には,「重大な事由」がなければ,その親の訪問権は否定されない。

この訪問権は子の健全な発達や養育及び育成を監督する権利としても認めている。

これらを照らせば,未成年子の手続きの本質として非親権者に監護の権利を認め,しかし代理権は恣意的に制限するなど失当であるが,現行法による実務は非親権者に請求代理権を認めない運用である。従い,そもそも未成年子の自由意思について非親権者が確認できないからという理由で,子自身に行為能力が無いと判断し,代理の権限行使を認めない判断がなされるのであれば不当と言わざるをえない。

つまり意向を上手く伝えることが出来ず,書面の読み書きが困難である子の場合,例えば精神的や身体的障害を持つ児童や未成年子が法定代理人によらずに自ら手続行為できる場合については,親権者・後見人が代理して手続行為することができるとしている(家事手続法18条)。

このことから婚外子と認知親との関係を含めると,子の請求権の代理権が親権者にのみに限定する国内法は子の福祉にとって妥当とはいえない。スウェーデンは事実婚が50%を超える勢いである。日本でも事実婚は増加傾向にあり,事実婚の関係性を照らせば,子にとって親が離婚していても事実婚と何ら変わりは無い。つまり現制度であっても,共同親責任,或いは共同監護権の観点から未成年者の適正監護妨害の排除請求につき非親権者に代理権を認めなければならず,また非親権者の直系血族に,その権利が相続されるものであっても特段の理由がない限り否定はされない。

そこで特別代理人の選任(家事19条,民法第826条)があるが,まず虐待が思料されるエビデンスを児童相談所に対して親権を奪取された親が代理して開示の請求を行えないのであるなら,保護した児童相談所が長の権限で子どもの手続き代理人を設置すべき制度化が必要なのである。

特に非嫡出子や未成熟期の子どもなどに対して意思確認の義務を明記しているものではなく,権利に基づく行為能力は,現行法では親権者がそれを代理できる。平成26年9月4日最高裁大法廷決定(裁判長・竹崎博允長官)を照らせば,非嫡出子の請求権につき代理する権利は,両親のどちらかが拒否しても拒否自体がまかり通らないためには,両親共に有するべきものとも解せる。

殊更,子の意思把握規定(258条1項準用家事65条)は子の意思を把握するように『努める』のであって,子の意思確認において手続以前の確認義務は明文化されておらず,努めてみて子の意思確認が出来ずとも,権利を制限されることはなく,当然,否定されないのである。

民事訴訟法上,身分関係が問題となる家事事件手続の性質上,できる限り本人の意思尊重が求められることから,家事事件手続法では,法定代理人によらずに自ら有効に手続行為をすることができるものとして,子の監護に関わる場合は家事118条準用規定151条2号,252条2項,4項で規定されたことは,明記されている。

しかしながら身分関係が問題となる家事事件及び家事調停については,当事者本人の人格に影響ある事を照らし,「できるだけ本人の意思に基づくことが望ましい。」と考えられていて,人格権を否定していない。人格権を基本的に尊重しうるものであり,事前に本人の意思確認,行為能力の確認を義務付ける記載では無く,それらの確認が手続き後であっても否定されない。つまり手続きが本人の意思に基づくものが望ましいというものであって,手続きが本人の意思に基づかなくとも,その人格権は尊重され,親(親密な直系血族)が未成年子の請求権の代理権を有することは否定されない。

また,これらは子の権利実現,人格権の尊重が目的であることから,親権者の代理権としてみれば,一方のみで代理権行使があったとしても,それが明らかに他方の親権を侵害するものではなく,両親の同意が必ずしも義務として明記されていないことから家事事件手続法第18条に基づき,他方親権者の同意なくとも請求出来るものと解される。

つまり,未成年子の健全な発達など適切な監護(適正措置)請求に妨害が生じた際の妨害排除請求権につき,親権者ではない親(親密な直系血族)に代理権を認めるべきである。子の福祉に適した,子の利益に資する運用として,未成年子の権利保障の観点から今後検討すべき重要な課題といえよう。

2,の下記に記すが,子は離別分離によって非常に大きな精神的ストレスが生じるものとして,すでにエビデンスは蓄積されてきている。長期間の親子分離,或いは親和破壊による精神的ダメージと,拘束による依存などの影響は子を回避させるべく,未成年子の適正措置を請求する権利が評価されうるべきである。

ウ,離婚後の共同親権は民法819条によって禁止されている。平成23年に見直しが行われ平成24年4月1日に施行された「親権喪失制度」移行,不合理に親権を喪失させる民法819条が放置され続けていることは国会議員の怠慢ともいえる状態である。ただ親権を奪い合うためにおこる紛争につき,問題視されているのは上記の通り私力の行使(自力救済)である。なぜなら離婚後の共同監護を禁止する法はないが,実務上,共同監護を禁止してきた歴史があるからである。

平成30年3月15日最高裁判所第一小法廷判決で山口厚最高裁判事が公言した「連れ去り」といった評価は妥当である。決して合法的に連れ出したものではない。ハーグ条約に批准したことで私力の行使(自力救済)禁止の原則は明確化されている。これは国内法で私力の行使(自力救済)が禁止されていなければ不作為が生じるのであって,そもそもハーグ条約に批准できない。

最高裁判昭和40年12月7日(民集19巻9号2101頁)「私力の行使(自力救済)は原則として法の禁止するところである」とあり,ハーグ条約につき「国を跨ぐ」という性質を「私力の行使(自力救済)」禁止の原則より優位に評価するケースがあったとしても,本来,国を跨がない私力の行使(自力救済)を合法とすれば,国家間の差別が生じることも否定されず,国内法の原則は改廃する。日本から外国にハーグ条約に基づいて子の引き渡しを請求する手続きは,日本の国内法において私力の行使(自力救済)が相手親の監護権侵害と評価される。

殊更,婚姻中の場合,日本の国内法において,共同親権中であるから子を連れ去る私力の行使(自力救済)が相手親の親権行使妨害であることは否定されない。これこそ国際法規を誠実に遵守することを定めた同第98条2項の意義であり趣旨であろう。

そこで本来,刑法224条は軽微な犯罪等として申告罪の対象であるが,特段の理由なく不当に親子が離別強制される精神的負担を鑑みれば,子にとって決して軽微なものとはいえない。私力の行使で拘束者の実質拒否による親子の分離強要がまかり通らないために,実子の拐取についても明確に禁止すべき法整備が必要である。

エ,法務省は,コロナヴィルスの影響で面会交流を拒む監護者が増加したことを受け,テレビ電話の利用を呼び掛けている。これは子に対する身上監護者による支配の強さを懸念している。親権者が決定すれば拘束者という位置づけとはならない。従って,ドイツの単独親権違憲訴訟で照らされた支配の側面の評価と合致していることは否めない。

ところで様々に自粛を要請され,病院でも葬儀場でも親族が対象者に面会できない状況となっている。そんな中,裁判所が導入しているビデオリンクのように,介護支援も含めてオンライン面会といった直接面会を避けるデジタル化の取り組みが進んでいる。

 児童支援ではテレスタディ,就労支援ではテレワークといったようにデジタル化が進んでおり,防衛相は物理的な媒体に判子決済することで,テレワークに欠ける所があるとしてシステムを電子決済に変更するといったデジタル化について意向を示した。物理的な「手紙」という間接交流などヴィルスは物理的媒体に付着,生存するといったリスクが生じることもあり,審判に書くことはリスクを考慮しておらず,社会状況の変化や多様化から鑑みれば裁判所の実務運用は変更が必要である。デジタル化の取り組みは様々な方面で,今や世論の潮流である。

 日本国憲法第11条にて子どもの基本的人権の享有について規定し,第12条では子どもの自由権及び人権を保持する義務,13条の人格権,幸福追求権から子どもの生命・身体の自由の保障,25条の子どもの生存権における健康で文化的な最低限度の生活の保障が定められている。

親の養教育権としても,同13条,19条,20条,26条等によって保障され,家族の自律としては,同13条,24条で保障されているものと解される。つまり子に対する私力の行使(自力救済)は紛争上で高葛藤の起因となっていて,拘束者の支配力が高まる動機であることも否定されず,自身で生活を整理できない未成年子が,心身共に拘束され依存を受け続けることを否定されないことから,あらゆる子の権利の享有を否定され,同18条奴隷的拘束として違憲性が照らされるべきともいえる。

これら妨害を排除するための請求権を代理する権利者は,離婚しても非親権者(親密な直系血族)にも子の保護する権利として代理権を認めるべきである。保護権者が死などによって喪失すれば,保護権者の親密な直系血族に相続されうることも子の利益(権利)保障の観点から有効であることを否定されない。

2,子の請求権につき自己決定の評価基準を15才として設けるべきか否かの検討

子の請求権には手続きを請求する権利,適正措置を請求する権利,監護を請求する権利,自己決定を請求する権利,プライバシー確保を請求する権利,面会交流する権利などが認められている。養子縁組での行為能力については15歳と定められている。

子が自らの意思に反して親と不当に分離を強要されられることは「精神的負担の大きく強いること」に相当する。つまり釈放しなければ拘束の状態は固定されず,子の心身に害を及ぼし続けるというものである。

平成30年3月15日最高裁判所第一小法廷判決で山口厚判事はハーグ条約に基づき自力救済を「連れ去り」と公言した。母と暮らす事を選んだ息子の意思は「11歳で帰国して母親に依存せざるを得ず,母親の不当な心理的影響を受けていると言わざるを得ない」とした。

依存の例としては,自己防衛のために「気そらし」という回避行動をとることは琉球大学の嘉数 朝子氏,井上 厚氏,白石敏行氏の教授達が研究した論文で発表されている。両親の紛争に参加したくないトラウマから回避反応で「気そらし」の反応を示し,両親に関わる情報を聞き入れず,違うことへ無意識に気が反れる。これは両親の紛争に巻き込まれないように無意識にとる防衛反応と言える。

そこで親子を不当に分離した場合において,子に与える精神的影響が子の福祉や利益(権利)に反し,心理的虐待となりうることを,子の監護に関する最近の裁判例を基軸に示す。

 ア,親子の不当な分離による精神的影響

 (1)識者の見解(医学的見地)

 平成25年12月13日東京高裁決定(平成25年(ラ)第1733号)

 「子が行う面会交流につき子の利益(権利)に資すると評価された事実では,証拠として提出された外国の文献等について「平成12年ないし平成13年頃に発表されたロバート・ハウザーマンの「共同監護と単独監護における子供の適法性の比較メタ分析報告」を照らし,

「実質上(子供がかなりの時間あるいはほぼ同等の時間をそれぞれの親と過ごす場合)・法律上(片親が主に同居監護する場合で,他方の親も子供の教育への関わりを維持し,子供に関する事項決定は双方の親で行う場合)の共同監護下にある子供の適応状況を単独監護下にある子供のそれと比較する諸研究メタ分析を行った結果,実質上あるいは法律上の共同監護を受ける子供は,単独監護下の子供よりも適応性があったが,両親のある子供との間には差異はみられなかった。総合的適応,家族関係, 自尊心,心理,行動,離婚等の各項目を比較すると,共同監護下の子供の方がよりよい適応性を示した。

(中略)その一方で,同報告では,合衆国ではほとんどの州で1990年(平成2年)初期までに共同監護がオプションとされる制度が採用されていること,上記研究報告の前提として研究対象の選出に偏向がある可能性を否定できないこと,共同監護方式を選んだ両親は,離婚前あるいは離婚当時から良好な関係を維持できていた元夫婦であるところ,共同監護家庭の両親の対立度が単独監護家庭のそれよりも低いことから,両親の離婚前,離婚時の対立度をコントロールすることが今後の研究の課題であろう」

このように示している。このことから,子が親と分離を強要されると,親子共に心理的負担があることが示されている。相手親が,わが子を拘束された状態で,様々に制限されている状態で対立に望むことこそ問題があり,わが子を実効支配され,分離を強要された相手親こそ対立度のコントロールについて困難極める。それは,わが子を拐取されている側が精神的に不利な立場である事を示しているともいえる。

ただし「わが国では,離婚時の子供の親権者については単独親権制度が採用されており, 欧米諸国とはそもそも法制度が異なること」を明確に示し,比較法的見地で評価して頂いているものの「これを採用することは出来ない。」としており,この時点でエビデンスが足りず,解釈に間違いがあって非常に残念である。

「欧米諸国では,子供に対する一般的な養育方針ないし親子関係として,早い場合には乳幼児の頃から両親とは寝室を別にするなど,幼少時から子供が親から離れ,親も子供から離れて,子供が早期に自己を確立することを前提として養育がなされるのであって,現在のわが国における子供に対する一般的な養育方針ないし親子関係とは異なっているのが実情であり,上記報告によっても,共同監護方式を採用している元夫婦は,離婚前ないし離婚時から, 夫婦間での対立の度合いが低かったとされているのであって,そのような前提を抜きに論じることは相当ではない。」

このように理由を示している。そこで日本の実態調査研究を照らしたい。

「カウンセリング研究所紀要 面会交流の有無と自己肯定感/親和不全の関連/青木聡教授(大正大学臨床心理学科準教授)」を照らせば

 「本研究の結果,別居親と面会交流をしていない子どもは,「自己肯定感」が低くなり,「親和不全」が高くなることが明らかになった(注7)。一方,たとえ親の離婚を経験した子どもであっても,別居親と面会交流を続けている場合,両親のそろっている家族の子どもと比較して「自己肯定感」および「親和不全」の得点に差が出ないことも明らかになった。この結果は,離婚後ないし別居中の子育てにおける面会交流の重要性を明白に示している。今回,家族観や離婚観,子育てに関する文化の違いを越えて,欧米諸国の先行研究とまったく同様の結果が得られたことは,非常に重要な意味を持っている。・・・」

このように結論付けている。

「たとえば,共同養育の法制化に弾みをつけた非常に有名なWallersteinら(1975,1980, 1985, 1989,2000)の縦断的研究(親の離婚を経験した子どもたちを25年以上にわたって追跡した調査)によると,離婚後の生活によく適応し,心理状態がもっとも良好であったのは,別居親と定期的に面会交流を持ち続けた子どもたちであった。逆に,面会交流を実施しなかった場合,子どもは「自己肯定感の低下」「基本的信頼感の低下(対人関係の問題)」「社会的不適応」「抑うつ」「ドラッグ/アルコール依存症」「離婚や片親疎外の世代間連鎖」等で苦しむことが報告されている(Baker, 2007)。・・・」

これらから上記結論はWallersteinらの25年以上にわたって追跡した調査と比較して示したものであり,研究者のデータに基づく有効なエビデンスであって排除できない。

これほどまでに親子不分離の原則に基づく子と親に有する自然権の保障が重視され,研究結果が増えているのは,両親双方との「日常的な情緒交流」が子どもの健全な人格形成に欠かせないという実証的知見が蓄積されてきたからである。

つまり平成25年12月13日東京高裁決定(平成25年(ラ)第1733号で示された「子が行う面会交流につき子の利益(権利)に資すると評価された決定の上で「これを採用することは出来ない。」との判断の前に,青木聡教授(大正大学臨床心理学科準教授)の研究結果がエビデンスとして示されていれば評価が変わっていたことを否定されない。

「片親疎外」に関する実態調査研究」/青木聡教授(大正大学臨床心理学科準教授)では

「・・・今回の調査において,面会交流なし群は面会交流あり群と比較して,

・「神経症傾向」が高い。

・「自意識」と「傷つきやすさ」が高い。

・「群居性」が低い。という結果が得られた。

一方,面会交流あり群は面会交流なし群と比較して,

・「審美性」が高い。という結果が得られた。

この結果から,面会交流の有無が子どもに与える影響の一端を垣間見ることができる。今回,面会交流なし群にみられたマイナス面の影響だけでなく,面会交流あり群に「審美性」の高さというプラス面の影響がみられたことは,今後の研究に明るい展望を与えている。・・・」

離婚後の養育問題と面接交渉(別居子と親の面会交流)に関する研究/青木聡教授(大正大学臨床心理学科準教授)では,

「・・・面会交流の頻度が減ると親子関係が疎遠になり,子どもの成長に影響が出ることが確認されている・・・」

このように調査結果から親と分離されている子どもに与える心理的影響が指摘されている。

平成25年7月3日東京高裁決定(判タ1393号233頁)

「子は,同居していない親との面会交流が円滑に実施されることにより,どちらの親からも愛されているという安心感を得ることができる。したがって,夫婦の不和による別居に伴うこの喪失感やこれによる不安定な心理状況を回復させ,健全な成長を図るために,「未成年者の福祉を害する等面会交流を制限すべき特段の事情がない限り」,面会交流を実施していくのがよい・・・」

このように子の別居に伴うこの喪失感や不安定になる心理状況を示している。

水野有子裁判官・中野晴行裁判官(第6回 面会交流の調停・審判事件の審理:法曹時報66巻9号1頁)(平成26年1月)

「父母が離婚又は別居しても,子にとっては親であることに変わりはなく,非監護親からの愛情も感じられることが子の健全な成長のために重要である。面会交流が実現することで,離婚や別居による子の悲しみや喪失感が軽減されることが期待できる

そして民法改正の立法の経緯においても,子の養育・健全な成長の面からも,一般的には親との接触が継続することが望ましく,可能な限り家庭裁判所は親子の面会ができるように努めることが民法766条の意図するところとされている・・・」

このように示している。子の悲しみや喪失感については近年発表されているロス症候群に類する(様症状)であると解される。ペットロスや近親者ロスによる喪失感は心理的影響が大きく,基本的には死を理解してグリーフ(悲嘆)をケアしていくことが心理療法としての解決策であるが,不当な親子の分離は,生きていて,いつでも会えるはずが,会いたくても会えないといった心の負担が生じ,死を割り切ることが出来る短期間での「時間」による解決を求めることが出来ず,分離を強要された親子は共に,より絶大な心的負担を強いられることは無視できない。

なぜなら,常にそばにいいたペットや近親者が何らかの理由で拐取にあえば,その喪失感は,成人であれば愛着傷害や成人期ADHDを引き起こす影響の原因となったりすることが指摘されているからである。ましてや,親子が分離されたまま,どちらかの死によって関係が消失すれば,権利保障に大きく反するのである。

喪失によるロス症候群などペットロスや近親者ロス以外にも日本ではすでに成人期ADHDなど後発性の発達障害様症状は認知されている。児童が突然,他方親をロスして精神的ストレスから発症する精神的ダメージは児童福祉法,児童虐待防止法などの観点から精神的ダメージを妨害として照らし適正措置(妨害排除)を求める未成年子の権利は年齢を問うべきではないことが分かる。

「離婚毒―片親疎外という児童虐待」の著者リチャード・A-ウォーシャックの書いたSTEMMIG THE TIDE OF MISINFORMATION:INTERNATIONAL CONSENSUS ON SHARED PARENTING AND OVERNIGHTIN(2017)という論文から

「メタアナリシスは,両親間の葛藤のレベルにかかわらず,単独監護の子どもと比較して,共同監護の子どもでは,感情的,行動的,および学術的機能がよりよかったことを報告しています( A meta-analysis reported better emotional, behavioral, and academic functioning for children in joint physical custody compared to children in sole custody, regardless of the level of conflict between parents.)。

親の葛藤による有害な影響を拡大するのではなく,いくつかの研究は,共同養育が紛争の潜在的な負の結果から子どもを守るかもしれないことを示唆している(Rather than magnify harmful effects of parental conflict, several studies suggested that joint physical custody may protect children from some of the potential negative consequences of conflict. )。

しかし,共同監護されている子どもは,単独監護されている子どもに比べて, 葛藤はそれほど大きな損害を与えません。紛争は,共同監護の利益を消去しません(But conflict is not more damaging for children in joint physical custody than those in sole custody. Conflict does not erase the benefits of joint custody.)。

ニールセンは,肯定的な結果を予測するにあたっては,低葛藤や協調的な共同養育よりも質の高い親子関係が重要であることを見出しました(Nielsen found that in predicting positive outcomes, high quality parent- child relationships are more important than low conflict or cooperative co-parenting.)。

そして,質の高い関係構築には,発達と繁栄のために十分な時間が必要です(And high quality relationships need sufficient time to develop and flourish.)。

夫婦が「高葛藤」と指摘されたときに,一方の子と親どもの時間を自動的に制限するという方針は,子どもと一方の親との関係性構築という保護緩衝を奪うという問題を生じさせます(A policy of automatically restricting children’s time with one of the parents when a couple is labeled as “high conflict” brings additional drawbacks and deprives children of the protective buffer of a nurturing relationship with one of their parents.)。

この方針は,葛藤を作りだし,または維持することが共同親権を無効にする効果的な戦略であるというメッセージを両親に送ります (This policy sends parents the message that generating or sustaining conflict can be an effective strategy to override shared custody.)。

これは,市民のコミュニケーションと協力を邪魔し,怒りが少なく両親の葛藤から子どもを守り,両親との積極的な関係の必要性を認識し支援する子と親どもとの時間を減らす可能性があります(This discourages civil communication and cooperation, and may reduce children’s time with the parent who is less angry, who does a better job of shielding the children from conflict, and who recognizes and supports the children’s need for positive relationships with both parents.)。 」

以上のように,同居親が高葛藤であると主張し,そのことを理由に親子再統合(親和構築)を拒む,あるいは削減を求め,それが認められる場合には,相手親に対し拒否自体を理由に,いつまでも高葛藤であると主張し続ければよいというなりかねず,一方の子と親どもの親和構築の時間を制限する方針がまかり通らないためにも,相当ではないことを示しているのである。

つまり現に父母間に葛藤があっても,あるいはその葛藤が高いと評価される場合であっても子の精神的ストレスを考慮すれば,特段の重大な理由がなければ,共同監護や親子再統合(親和構築)が制限されるべきではない。

ウォーシャック(2012)の研究から読み解けば,両親の激しい葛藤に曝されることによる傷つきの深さを考えると,場合によっては片方の親とその親戚との親子の断絶も,やむを得ないと考える人が少なからず存在する。そうした考えの裁判官や調査官は,葛藤の回避が第一義的に最善であると考えているといえる。

しかし未成年子を主体に考察すれば,もちろん両親の争いは子どもの安心感や幸せを打ちのめすことになるが,だからといって親の拒否自体を理由に離別断絶分離がまかり通ってしまい,親との交流を失うことは,子どもに更に厳しい大きな打撃を与えることになることは言うまでもない。幸福追求権の趣旨である人格権を鑑みれば,やむを得ないという理由で解決に至らせることは明らかに失当であろう。

親子関係や親戚との交流を引き裂かれた子どもは,その傷を癒やすことが出来るか否か,それは成人期ADHDの症状が将来,発症するかしないかを見極めるまで分からない,或いは片親疎外による引きこもりや非行に走るまで知る由もないから,それまでリスクが予想出来ても評価出来ないという事になる。従って,両親の争いの余波から子どもを守るためにあらゆることを試みつつ,親子関係を維持することを子の福祉として社会が合理的裁量権の趣旨である「親子再統合」に従って取り組むべきといえる。

つまり親の高葛藤が親と子の自然権を制限する根拠とはならないといえる。

この根拠は,2.面会交流(共同養育)の重要性と科学的・心理学的根拠

(1)連れ去りと引き離しはトラウマになる可能性が高い。

(2)離婚や別居の子に与える影響を抑える

(3)幼い子どもは,片方の親によって集中的に監護されるべきか

(5)片親疎外(片親疎外症候群)のリスク

これらの研究を含めて評価しているのである。

 これらの評価は1,(5)「監護親に求められる面会交流に対する態度」と(6)他方子と親との関係性を維持・促進させる積極的態度」を照らせば,子が依存によって拘束を感じなくとも,不自由の強要から釈放を求める意思があれば,その状態が固定されないことを評価すればあてはまる。

 そこで私力の行使(自力救済)を肯定する司法運用が正当と評価されるならば,それは単独親権制度の余波を否定できないのである。

そもそも監護者を一方にしなければならないといった法の明文は無く,共同親権中も離婚後の単独親権指定後も共同監護は特段の理由なく否定されないのであって,それら明文がないままに共同監護を肯定しない偏頗こそ,欧米での単独親権違憲訴訟で照らされた拘束者の支配の側面,或いは強さが国内において評価されず子の利益に害が思料されているが,実務運用として蔑ろになっているというものである。

つまり単独監護下で育つ子が,非親権者に監護を請求したり,児童相談所に適正措置を請求したり,子どもの手続き代理人に手続きを請求したり,児童相談所や学校での個人のプライバシーを求める,様々な未成年子の請求する権利は,年齢に囚われず保障されるべき根拠がある

 (2)識者の見解(実務的見地)

長年,公的に面会交流支援を行ってきた団体のFPICの「子どもが主人公の面会交流(1)という資料を照らしても,そもそも表題からして「子どもが主人公」となっている。つまり監護親の葛藤が原因で子が分離を強要されること自体に間違いがある。

そして「1面会交流の究極の目的」に「子どもは父母の愛情を受けながら,父母をモデルにして成長します。ひとつ屋根の下に暮らしていなくても,自分には両親がいるということを実感しながら育つことが子どもに大きな力を与えます。

面会交流の究極の目的は,子が親を知り,その親の愛情を確認して安心して育つことにあります。」と明記し,

「⑴ 子どもが親を知る権利の実現」には「子どもの権利条約(7 条)にもあるとおり,親を知る権利は,主体である子どもの権利です。親は子どもがこの世に存在するルーツであり,子どもが,自分は何者であるかという自我(セルフアイデンティティ)を確立するための土台である」

「⑵ 真心をこめて愛情を伝えるための子に対する詫び」には「多くの親は,自分こそが被害者だと思っていますが,離婚によってもっともつらい思いをしたのは親ではなく,子どもです。」とし

「2 代替し切れない父母の固有の役割」として「父母にはやはり代替し切れない固有の役割がある。」としている。

つまり監護に関わるものこそが,子の心理をよく鑑みてケアすべきである。しかし,子にとって全く足りていない状況下に置かれているというべきである。

大阪家審平成5年12月22日家月47巻4号45頁

「子どもは「人格の完成をめざし,心身の健全な発達を求める基本的人権が保障されねばならない(憲法第26条第1項, 教育基本法第1条)」

(中略)人格の円満な発達に不可欠な両親の愛育の享受を求める子の権利としての性質をも有する

このように構成されていることから,基本的人権の保障のみならず,人格の円満な発達に不可欠な両親の愛育の享受を求めることが出来,意見表明(自己決定)によって適正措置(妨害排除)を求めることは妥当である。

東京家審平成18年7月31日家月59巻3号73頁

「一般に,父母が離婚した場合も,未成熟子が非監護親と面会交流の機会を持ち,親からの愛情を注がれることは,子の健全な成長,人格形成のために必要なことであり,面会交流の実施が子の福祉に反するなどの特段の事情がない限り,これを認めるのが望ましい。」

このように示され,親からの愛情を注がれることは,子の健全な成長,人格形成のために必要として示されていることから鑑みれば,未成年子は親からの愛情を注がれることに欠けるところが生じるのであり,子の健全な成長,人格形成に害が生じていて,適正措置(妨害排除)を求める権利が評価されるべきである。

そこで 高橋恵子(聖心女子大学名誉教授)他編「人間関係」(2012年)『発達科学入門[2]胎児期~児童期』(東京大学出版会) 165頁,177頁

「子どもと別居親との面会交流については,子どもの発達成長にとって別居親と関わることが極めて重要である」

「子どもの人格形成(精神の形成)については,心理学の世界では,新生児期・乳児期・幼児期・児童期・思春期・青年期を経て認知能力,他者との関係形成維持能力,情緒の安定能力などを段階的に身につけてゆく」

「特に,子どもの心象の形成過程や人格の形成過程において父母との関わりが,安定した子どもの精神や人格に影響すると考えられ,また,人間関係に関する心的枠組みは環境によって影響をうけつつ時間の経過の中で変容してゆくと解されている。」

このように示しており,私力の行使(自力救済)は,子の人格形成における非常に重要な時期に「子どもの精神や人格に安定しないまま影響させているもの」と解せるのである。

 子どもから見た面会交流/小田切紀子(日弁連「自由と正義」(12月号)60巻12号28頁「両親の離婚・別居の際の面会交流の問題点と課題」特集)

「必要に応じて子どもと関わり,子どもの発達を支えることができる。そして,面会交流は,子どもが「①親から愛されていることの確認,②親離れの促進③アイデンティティの確立」を実現するために必要な一手段と言えるだろう。子どもが「非監護親との交流を継続することは,子どもが精神的な健康を保ち,心理的・社会的な適応を改善するために重要」なのである。多くの場合,別居親は父親であるが,婚姻継続中の父母を対象にした研究では,父親の関与が子どもの発育に好ましい影響・・・

(中略)発達する過程において親との関わりを持続することが子どもの 人格を形成し情操を深める結果をもたらすのであり,面会交流は子どもの 健全な成長や人格形成極めて重要なもの・・・

(中略)裁判所も「子は,父母双方と交流することにより人格的に成長していくのであるから,子にとっては,婚姻関係が破綻して父母が別居した後も, 父母双方との交流を維持することができる監護環境が望ましいことは明らかである(東京高決平成15年1月20日家月56巻4号127頁)」,「子と非監護親との面会交流は,子が非監護親から愛されていることを知る機会として,子の健全な成長にとって重要な意義がある(大阪高決平成21年1月16日家月61巻11号70頁)」「非監護親の子に対する面会交流は,基本的には,子の健全育成に有益なものということができる(大阪高決平成18年2月3日家月58巻11号47頁)」などと説明しており,面会交流は子どもの発達との関係で重視されている・・・

(中略)子どもは心身ともに日々発達するという子どもに関する動的な認識に基づいて,子どもと別居親との継続的な関わりが重要であるとされ,面会交流はその関わりの一つとして位置付けられている。」

このように示している。親和構築(親子の再統合)を制限されると,子にとって人格的な成長に害を及ぼし,愛されていることを知る機会を奪われ,健全な成長にとって妨げとなる拘束状態が続くというものである。つまり子は現在,人格の円満な発達に不可欠な両親の愛育の享受を求めることが出来ておらず,子自身で容易に整理できるデジタル通信さえ制限されており,子は心身ともに日々発達する幼少の期間につき現環境は健全育成に有害なものとなっている。

そこで子の人格の完成を目指し,心身の健全な発達を求める基本的人権が保障されなければならない。従って親子の自然権は当然に保障されるべきというものであって子の円満な発達に重要な意義に反していることは明確である。

 上記1のエ,に示したが,子は,自身で容易に整理できる電子通信システム(テレビ電話,SNS,SMS,メールなど)の利用が制限されることなく,身上監護者が精神的ケアをすべきであって,子の権利が妨げられている場合には,日々心身ともに発達する幼少の期間において,子の健全な発達,育成,愛育は害されていることは明らかである。子がコロナに感染したり親がコロナに感染しても,親子が分離されたまま申し伝えることなく知ることも出来ないなど,精神の安定を保つべく,その有する人権が侵害されているという以上,他にない。

柏木恵子(東京女子大学名誉教授)『大人が育つ条件一発達心理学から考える』126頁(2013年)や寺薗さおり(埼玉大学子ども学(子ども環境学),生涯発達看護学准教授)「子育てによる親役割達成感と親の心理的な発達との関連性」小児保健研究69巻1号47~50頁

「子と面会交流できない別居親の心理的影響は大きい」

このように別居親側の精神的負担を示している。この引用を鑑みても子と親が分離強要された際における心理的影響は親子双方共に大きいことがわかる。近親者ロス症候群も生前の喪失はお互いに親和関係が希薄化していき,いずれ喪失するのであって,子に限定されるものではなく,また別居親にだけ限定されるものではない。つまり親子不分離の原則は,親子の自然権として親子双方に重要あるから,誰も不当に妨げることは出来ないのである。

このように親子不分離の原則に基づく親と子の自然権が,合理的に重要性を示されていることから照らせば,両親から愛情を受け,また父性原理取得或いは母性原理習得のどちらかに欠ける所があれば,子の健全な成長,人格形成に害が生じることが明白であるから,子を主体とすべき運用の中で,いかに子の権利を尊重していくことにつき,子の年齢に囚われることは子の利益に資すらない運用であるというべきである。

イ,個別のプライバシーについて

棚瀬孝雄弁護士(中央大学法科大学院教授(京都大学大学院法学研究科教授))「両親の離婚と子どもの最善の利益」(日弁連「自由と正義」(12月号)60巻12号26頁「両親の離婚・別居の際の面会交流の問題点と課題」特集)で「子の養育する親の権利を奪うことは,(中略)②愛着追求を子どもから奪うことになり「幸福追求権」や「プライバシー権(自己決定権)」侵害と解される・・・」と引用し,その場合に

日弁連家事法制委員会事務局長 谷英樹弁護士「両親の離婚と子どもの最善の利益」(日弁連「自由と正義」(12月号)60巻12号38頁「面会交流の実務の問題点と課題」)で「明文規定がなくとも権利構成ができないとは言えず,他者の妨害を排除しても実現する価値のある親子の関係をめぐる事項であるとすると権利構成も認められると解釈することは可能・・・」と引用して示している。

法制審議会164回議事録4頁

 「もっとも家事審判事件におきましては,未成年者の利益,個人のプライバシー等を保護する必要が特に高いという事情がございます。

 このように示しているとおり,子の最善の利益を優先する運用が求められる家事事件において,未成年者のプライバシー権は人格的自律権(自己決定権)として,父子の身分,母子の身分と個別に,そして平等に保障されるべきである。

 前述の昭和54年3月30日最高裁判決(昭和51(オ〕328)判例や東京家裁八王子支審平成18年1月31日(家月58巻11号79頁)判例などのように子は自己決定(意見表明)権を有し,父子関係と母子関係は個別にプライバシーを確保されるものであることを示している。

そこで子を連れ去って先に監護を開始した実質監護者(拘束者)が子と親とのプライバシーを妨害し,子の適正措置請求権(監護請求権)を制限すれば,子が親と親和構築(親子再統合)を求める個別の権利構成に害を及ぼすとの見解と合致している。

 ここで照らす必要があるのは,子に対する体罰及び虐待である。長男に対する体罰は「言うことを聞かないので,頬を叩いた」「宿題をしなかったので,夕ご飯を与えなかった」「きょうだいと差別的な扱いをする」など児童福祉法改正案のガイドラインとして厚生労働省が発表している。

 虐待で命を奪われた千葉県野田市の小学4年生栗原心愛ちゃんの助けを乞う個人情報(アンケート)を親権者(身上監護者)に漏洩したことで児童のプライバシー権侵害が問題となっていることは記憶に新しい。つまり様々な理由をもとに色々と意見を表明したい個人的なことを子自身が「誰に伝えるのか」について,自己決定(意見表明)する権利は年齢に囚われずに尊重されなければならない。

 安倍総理が国会で答弁したとおり「子どもから見れば,お父さんにも会いたい,お母さんにも会いたいと思うことはもっともであり,親と自由に会いたいと希望することは当然」である。子の意思には理由があって,そのプライバシーは父子関係,母子関係共に個別に守られるべきものであるから,虐待を防ぐためにも子の意思や気持ちをプライバシーの保護をもって尊重すべき合理的な理由があって,闇雲に無視できるはずがない。

 児童の権利条約9条2項や12条を照らしても,未成年の期間は成長発達段階にあるという定義から考えると,子どもには自己決定権(プライバシー権)自体も保障されるべきであるが,自己決定の判断能力を養う上でも意見表明権が与えられることこそが重要といえる。

 そこで子が監護者から体罰や虐待を思料する精神的負担が生じた際に,成長過程で害となりうる緊急の事情を父親或いは母親,或いは別の近親者や学校の先生などに自らの自由意思で意見表明するといった,虐待親の依存から人格的自律を目指すことが有効であり,親との親和構築(親子再統合)の為に,子がプライバシーを確保しながら自ら救済を求めることができるという意見表明の権利は妨げられない。

 つまり親子の自然権を保障する上で,民法766条については子を精神的にケアする,或いは児童虐待を防ぐ一方法として運用が行われているとも解されるのである。殊更,どちらか一方の親権を剥奪された際に,親権を剥奪された親密な直系血族は子の個人情報の開示を求める権利が排除され,子が親権者から虐待されている子を助けることが出来ないといった運用がされていないことから,国会議員の不作為が照らされているともいえるのである。

そこで,子の自由意思の確認は年齢を定めるべきではなく,また請求権につき,その権利は年齢によって制限を受けるべきではない。

 結語

 面会交流が争点となる調停事件の実情及び審理の在り方/細矢郁判事. 進藤千絵判事. 野田裕子調査官.宮崎裕子調査官(家庭裁判月報64(7)1-97, 2012-07)

 「東京家裁においては,以上(民法766条等)を踏まえ,子の福祉の観点から面会交流を禁止・制限すべき事由が認められない限り(中略)面会交流の円滑な実施に向けて審理・調整を進めることを基本方針としている(中略)このような面会交流事件の審理に関する基本方針は,現在の家庭裁判所の実務において広く共有されている・・・」

 また,親子が分離されうる事情として

面会交流が争点となる調停事件の実情及び審理の在り方/細矢郁判事. 進藤千絵判事. 野田裕子調査官.宮崎裕子調査官(家庭裁判月報64(7)1-97, 2012-07)

ア,非監護親による子の連れ去り(私力の行使或いは自力救済)のおそれ

イ,非監護親による子の虐待のおそれ等

ウ,非監護親の監護親に対する暴力等

エ,子の拒絶

オ,監護親又は非監護親の再婚等

これらが挙げられている。そこで子の影響を検討すれば

ア,そもそも先に監護を開始する親に対して相手親の親権行使妨害や監護権妨害をしっかり評価して濫用につき合理的理由を示して身上監護権や親権を渡さないといった運用が一般的となれば,連れ戻し(私力の行使或いは自力救済)は減少する。

 イ,そもそも先に監護を開始する親こそ葛藤によって子の権利を制限するのであって,子の精神的負担を精神的虐待として大きく評価する運用が一般的となれば,子への支配が緩むのであって,虐待の恐れは大きく減少する。 

 ウ,配偶者暴力は,生命に関わる言動の事実を検証する制度が未熟である。そもそも先に監護を開始する親は婦人相談所(女性支援センター)などでDVを相談しただけの実績をもとに住所秘匿して子を連れ去り,先に監護を開始するが,相談証明は相談をしただけの証明であって,生命を脅かす言動の事実があったことを検証及び証明するものではない。

平成30年4月25日名古屋地方裁判所判決で福田裁判長は

「DV被害者の支援制度が,相手親と子供の関係を絶つための手段として悪用される事例が問題化している。弊害の多い現行制度は改善されるべきだ」

と言及し,虚偽DVに対する訴訟は個別事例ではないとし,制度見直しを求めた。その後,虚偽DVを知りながら住所秘匿した半田市に損害賠償責任があるとして,半田市は和解勧告に応じて虚偽DVによる住所秘匿の受理を謝罪した。

そこで家族法研究会は,是非,この問題の実態を直視し,1,アにも示したが,真のDV被害者を守るためのDV防止法において,虚偽DVを防止し推認実務の改正や,検証義務に基づく運用改善を早期に行うよう,家族法に含めて検討して頂きたい。

 エ,子の拒絶については身上監護者が精神的ケアをし,医療ネグレクトが行われていないか,子の権利が侵害されていないかを,民生委員などがチェックする機能を増やすことが有効であり,世界では,このような機能を取り入れている国もある。

オ,共同親権中であれば,対象とならないが,離婚後の係争には子の自由意思につき十分配慮が必要である。継父や継母からの虐待が往々にして目立つことから,子どもの手続き代理人が子の利益(権利)側に立って設置される制度にすべきである現在は裁判官が選任しなかったり,選任されても弁護士が辞退したりと曖昧な制度となっている。15歳未満の未成年子から代理人を付ける権利を排除すれば子の権利保障に反するのであって,法的救済制度として子どもの手続き代理人を必ず設置する制度にすべきであろう。

面会交流が争点となる調停事件の実情及び審理の在り方/細矢郁判事. 進藤千絵判事. 野田裕子調査官.宮崎裕子調査官(家庭裁判月報64(7)1-97, 2012-07)

「なお,非監護親によるDVといった事情がなくても,監護親が非監護親に対する精神的葛藤や感情的反発等から面会交流を 拒否する事例も見られ,第3章で見たように,かつては,このような場合における面会交流の実施に慎重な見解も見られたところである。しかしながら,これまでに見てきたような子の福 祉の観点からの面会交流の重要性等に鑑みれば,非監護親による拒否自体を理由として面会交流を禁止・制限すべき事由があると認めることは相当でないと思われる。具体的な事案において,面会交流の実施が子にどのような影響を及ぼすことになるのか,実質的な検討が必要であろう。」

 つまり子の自由意思による意見表明や自己決定の権利を保障する為に,子の請求を実質的に検討し,その請求に当たり,親が代理請求すべきか,特別代理人を選任すべきかをといった評価が裁判官に課せられるのであれば,法的救済制度として子どもの手続き代理人を必ず設置する制度にすべきである。

 平成25年12月13日東京高裁決定(平成25年(ラ)第1733号)

 「原告及び被告らはいずれも,まず,夫又は妻としてのお互いに対する敵対感情はひとまず措いて,お互いに相手が未成年者の母親であり,父親であることを改めて認識し,未成年者のためにその限度ではお互いを認め合い,そのことを未成年者が肌で感じて,面会交流に対する精神的な安心感を得られるよう努力することが肝要である。当裁判所は,そのような考えに立ち,上記のとおり,原告も被告らも,お互いに未成年者のために我慢し,協力して,2回に1回は被告らも同席した上で原告と未成年者との3人での面会交流を実施し,未成年者のための面会交流であることをお互いに再認識して,面会交流に対する信頼関係を確立すべきであると考える。」

 このように示している。親権の中で,この身上監護権のみを取り出して,親が子どもを監護し教育する権利義務を「監護権」と呼んでいる実務があるが,監護権とは,子どもの世話や教育を通じて愛やぬくもりを伝える親の権利義務である。父性原理習得及び母性原理習得,両親から平等に受ける教育や愛育に欠けるところがあれば心理ケアを施し,子の利益を害することがないよう責任が生じるものである。裁判上の離婚の場合には,父母の一方を不合理に親権者と定める規定が存在するが,監護の共同権利者の,どちらか一方親から全監護権を奪取すべき場合は,子に対する害が明らかである場合に限定されるのである。

 1,アで示した最高裁判例によれば,共同親権中の別居親も,離婚して非親権者となる別居親も,子の監護を担う権利者であり続けるとして明示しているのであって,つまり監護者の指定は,身上監護者の指定である。しかし共同親権中に居所指定を私力で決定し,共同親権中に自力救済で先に監護を開始して実質監護者となり,別居親に有する,身上監護権以外の監護する権利を私力で妨げることは子の拘束支配であり,不法(違法)行為であることが思料され違法性が評価されなければならない。

 つまり未成年子が両親の存在を肌で感じて,精神的な安心感を得られることが,子の健全な発達に貢献する子の利益であり,子の利益に欠けるところがあれば子に精神的負担が大きく生じるということは,上記から理解するべきである。その限度を超えると子に精神的疾患が生じる懸念も拭えておらず,精神的虐待となりうるのであるから,仮に葛藤があるからという理由で,自力救済や拘束支配に対して違法性を評価しないことは,そもそも失当なのである。

 男子は別居親である父親とキャッチボールが一度も出来ないとか,女子が別居親である母親と一緒にプレゼントなど買いに行ったことがないなど,或いは乳児が母親から母乳を飲むことが許されないなど,両親が紛争すれば,ほとんどの子が親と分離を強要されている。高校生になる15歳程度までの時期にこそ,父性原理と母性原則の両方を平等に習得すべき子の利益(権利)があり,母乳を飲む権利や飲ませる母親の権利は,母子関係の成長過程に欠かせない特に重要な時期であって,健全な発達を保障しうる教育や養育の一端である。

 そこで保障されるべき子の適正措置請求権(監護請求権)から鑑みても,共同親権中の夫婦であれば別居親の親権行使が妨害されているのであるから,適正措置を求めるにあたり,他方親や子どもの手続き代理人を設置するなどが子の代理権者として,親権行使の妨害排除を求めることも妥当である。

1のアに示した「面接交渉と強制執行」(判例タイムズ 1087号42頁)の引用から鑑みれば,先に監護を開始して監護者を主張するのであれば,子の心身に不自由を強要するのではなく,子の行きたいところに行くことにつきサポートし,通信を拒むならば,心理的ケアを施して,出来る限り可能な通信をするようサポート出来る適任者として,子の心身をケアすべきであり,また,その主張をすべきものとも解せるのである。

 ところでプライバシー権(自己決定権)は,子の適正措置請求権(監護請求権)に一連で,共に評価されるべきである。子が母親と父親と個別にプライバシーを確保し,自由意思の元に意見表明できる権利を有するのであるから,親子の身分を個別に保障すれば,心理的ケアに欠けるところがあれば,その補填が出来,虐待があれば救済できるというものである。

 子の最善の利益(権利)を保障すべく,子の身柄は,そもそも拘束から釈放し,元の監護地へ戻したうえでさまざまな法的措置を講じるべきである。自力救済行為や子を拘束する行為を,弁護士が指南,或いは教唆したり,助長している現状があって,明らかに子の福祉や利益(権利)に害を及ぼしている。

 つまるところ子を私力の行使(自力救済)によって連れ去り,先に監護すれば拐取であって,拘束の継続性から軟禁が評価されうる。子の心理的負担を考慮しても,子の心身は直ちに釈放され元の監護地に戻して自由を確保させ,その後に法的措置を講じるべきであろう。

 そこで子の実質監護者或いはその補助者を主張するのであれば,子の身柄を自由に釈放する事こそ,親と子の自然権を尊重することであり,子の福祉の観点に立って信頼関係を確立していくことが望ましいのはいうまでもない。子の福祉に沿うものであり,それは未成年子の年齢を問わずに,子の利益(権利)を保障するというものである。

 つまり子の請求権につき自己決定の評価基準を15才として設けるべきではないという,年齢に関わらず権利を保障されうる合理的理由がある。

 総括

いずれにせよ子どもの手続き代理人を義務化するなど促進して拡充すべきである。離婚届に養育費と面会交流のチェック欄があるが,子がある夫婦と子がない夫婦が同じ受理方法であることも問題である。子がある夫婦の場合には,その生命や健全な発達を守りうる義務と責任が生じる契約と進化するのであって,そもそも委任契約ではないのであるから,いつでも解除できるとする民法651条に類推,或いは準用出来るはずもない。婚姻契約の解除を協議に任せることも本来,認めるべきか否かが重要な検討課題である。家庭の問題としていたずらに介入出来ないとすれば,日本の調停前置主義をベトナムのように3回の調停前置規定として義務化して,その後の子の監護状況を民生委員などが公的にチェックする制度を設置することも子の健全な発達を守る上では有効と言えるのである。

殺処分ゼロに向けてペットを引き取る保護主に対する追跡調査を民間支援団体が行っているのであって,人間の子に対して,虐待を防止する観点から追跡調査すべきではないという合理的理由は無い。家庭への介入は健全な家庭であれば問題であるが,例えば性犯罪者は再度同じ犯罪を行うリスクが高く追跡調査が検討されていることと同じく,継父による性犯罪を検討すれば,追跡調査を否定されないのである。民生委員が要保護児童対策委員会の直下として連携すれば,市役所家庭科や教育委員会,児童相談所や警察と連携することとなる。また民生委員の巡回委託事業として募集して,面会交流支援などを行っているFPICなど団体が受け持つことの出来る制度も検討すべきである。

子どもの手続き代理人とは,家事事件手続法93条1項,同法23条2項,同法118条,同法151号2項に基づき,職権で手続き代理人を選任し,93条1項,同42条3項に基づき,子どもを本手続きに職権で参加させることができる。

家事事件手続法23条1項又は2項により裁判長が選任し,又は選任を命じる手続代理人(以下「子どもの手続代理人」という。)に関し,日本弁護士連合会から各地の弁護士会に対し,書簡(平成27年8月21日付け「子どもの手続代理人の役割と同制度の利用が有用な事案の類型」の送付及び周知について(依頼) 」 )を送付した旨の情報提供を最高裁判所が受け,同書簡に添付されている「子どもの手続代理人の役割と同制度の利用が有用な事案の類型」が,最高裁判所との協議を踏まえ,その利用が想定される場面が明確にされているとして,適宜,裁判官及び関係職員に周知するように,平成27年8月24日に最高裁判所事務総局家庭局第二課長から各家庭裁判所事務局長に通知されている制度である。

家庭裁判所調査官と共に,監護親(監護補助者を含)の居ない環境(小学校など)で監護親への依存について配慮しながら,子どもの自由意思や親和性を確認し,基本的人権や人格権を尊重すべき手続きの代理権を有する代理人であって,民法766条を照らし,子の権利性に重きを置いた支援制度として行っている。

 これは日本国憲法26条,能力に応じて,父性原則,母性原則などの習得を含め,子のひとしく教育を受ける権利を保障するものとして人権保障の基本原則を定めており,公平な養育,愛育を保障する為に,公平な教育を子どもが受ける権利として尊重した制度といえる。

そこで児童の権利条約12条を照らせば,子どもとしては自ら代理人を得る権利を有し,本来,子どもの手続き代理人など親同士の調停(離婚,面会交流,監護者の指定,親権喪失・停止,管理権喪失,親権者の指定・変更など)に利害関係人として参加することが有効なのであって子は適正措置を請求する手続きを行使できる。つまり子らが拐取されることについて,子らは自ら損害賠償を請求することができ,子に特別代理人を選任すべきことも検討すべきであり,子は幼少の行為能力では親を選べないことから,代理人をつけることが出来ないのであれば違憲であるといえる。

 児童虐待の防止等に関する法律

 第三条 何人も,児童に対し,虐待をしてはならない。

 第四条

 6 児童の親権を行う者は,児童を心身ともに健やかに育成することについて第一義的責任を有するものであって,親権を行うに当たっては,できる限り児童の利益を尊重するよう努めなければならない。

 7 何人も,児童の健全な成長のために,良好な家庭的環境及び近隣社会の連帯が求められていることに留意しなければならない。

 第六条 児童虐待を受けたと思われる児童を発見した者は,速やかに,これを市町村,都道府県の設置する福祉事務所若しくは児童相談所又は児童委員を介して市町村,都道府県の設置する福祉事務所若しくは児童相談所に通告しなければならない。

 以上を鑑みれば,子が親と分離を強要される場合に,児童相談所に通告する合理的な理由が生ずるというものである。

1,親権を行うに当たっては,できる限り児童の利益を尊重するよう努めなければならない。それを妨げれば,親権の濫用を照らすべきである。

2,児童の健全な成長のために,良好な家庭的環境及び近隣社会の連帯が求められている。子の観点から留意されうる環境を整備すべきである。

 この2点を照らし合わせれば,片親疎外の環境に,児童の精神的影響は負担が大きく,後に精神的障害が生じること可能性が高いことから,親と子が分離されると,子の観点から拘束された環境化として子への精神的虐待と思料される事情があると評価できるのであって,そもそも私力の行使(自力救済)が子の利益(権利)を害するものとして通告しなければならない状況となることが否定されない。

面会交流が争点となる調停事件の実情及び審理の在り方/細矢郁判事. 進藤千絵判事. 野田裕子調査官.宮崎裕子調査官(家庭裁判月報64(7)1-97, 2012-07)

「双方の対応,問題点,子の状況や意向等を的確に聴取し,面会交流の円滑な実施を妨げている要因が何であるかを把握することが肝要である。そして,例えば,監護親が面会交流の意義を十分理解していないと思われる場合は,「当事者助言用DVD」や,リーフレット「面会交流のしおり一実りある親子の交流を続けるために」等を活用し,面会交流の意義(子は,別居後も非監護親と継続的に交流を持つことによって,それまでと変わらず愛されていると実感することができ,非監護親との離別という体験を乗り越えることができ,それが子の福祉の確保につながること)を分かりやすく丁寧に説明すべきである。

また,監護親が面会交流の意義をある程度理解しているものの,非監護親に対する感情的反発から面会交流を拒否している場合には,監護親の心情を傾聴しつつ,離婚紛争に伴う非監護親に対する感情的な問題と面会交流の問題とは, 区別をする必要があることを説明すること等が考えられる・・・」

 このように示されている。親子不分離の原則は特段の理由なければ自然の権利として尊重されるべきでるから,感情的反発で私力を行使して子を制限することを防ぐために,子に有する権利が保障されるべきであり,子の代理人を請求する権限につき排除されない。

 上記以外にも,親子の分離が子に対して精神的に害があることを示した文献がある。

面会交流が争点となる調停事件の実情及び審理の在り方/細矢郁判事. 進藤千絵判事. 野田裕子調査官.宮崎裕子調査官(家庭裁判月報64(7)1-97, 2012-07)

離婚と子どもの発達

離婚が子どもと家族に及ぼす影響について

別れて暮らす父親と子どもとの面会交流実態調査

父親の不在が子どもに与える影響

親の離婚を経験した子どもの精神発達に関する文献的研究

親の紛争が子どもの発達に与える影響(LIBRA2014年1月号)

など,他にも多々発表されている。

これらの文献をもよく照らすべきである。ましてや親の紛争が子どもの発達に与える影響2の「弁護士としてどう関わるべきか」には「1対1の場面で,子どもの想いは理解している事,会いたい気持ちになることも当然だという事を伝えていく。その上でままならないことに対してのやりきれない気持ちも共有できれば良い・・・」と精神科医は回答している。

弁護士Bの質疑応答では,精神科医が「子どもの問題行動を起こすことによる力」を示している。これは子が「表明したい意思の力」として尊重されうる自己決定の権利であって,親子の離別分離が精神的影響となっていることを否定されない。

つまり非親権者であっても共同親権中の別居親であっても不当に子がその親と分離されることによって,子が受ける精神的な害が指摘されているのであって,子にとっては精神的負担が大きく,将来にまで影響することは,有識者が示している所であるから評価されるべきである。

私力の行使(自力救済)は到底認められるものではない。子を連れ去ることも,特段の理由なく親と分離を強要すること,子を拘束することは到底認められない。重複するが,安倍首相が国会答弁で「子どもの目線で言えば,お父さんにも会いたい,お母さんにも会いたい。そう思うのは当然」であって,明らかに子の自由意思に反していて,子に心理的抑圧を課していて非難に値する。

このことを防ぐためには,離婚における公的救済の義務化など制度の拡充,子どもの代理人義務化など制度の拡充が必要である。子の自由意思(意見表明)につき評価に年齢制限を設けるべきではなく,子の代理権は,監護の請求権にあたる代理権として,親権者以外の監護の権利者である非親権者の親や,その権利を相続しうる親密な直系血族に認める制度をより確立していくべきである。

そのうえで子の年齢に制限なく親子が再統合すべき合理的理由があり,子の年齢に制限なく直ちに拘束から釈放を求めることができ,子の年齢に制限なく子の利益に資する監護を求めるためには適正措置(妨害排除)を請求できるものでなければならない。

以上を意見する。

参考 日本弁護士連合会家事法制委員会編「家事事件における子どもの地位 『子ども代理人』を考える―」(2010年4月,日本加除出版)

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