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令和2年(ラ許)第 号 許可抗告申立事件
許可抗告理由書
令和 年 月 日
〒
住所
氏名
高等裁判所 第 民事部 御中
当事者の目録
申立人
相手方
申立の主旨
1,私力の行使(自力救済)は原則禁止であるから,原審は取り消すべき事情がある。
2,子が適正な監護を求める請求権を保障しておらず,原審は取り消すべき事情がある。
3,原審の債務名義は子に対して適正な措置ではないから,原審は取り消すべき事情がある。
申立の事由
1,私力の行使(自力救済)は原則認められておらず,原審は取り消すべき事情がある。
昭和40年12月7日最高裁判決(民集19巻9号2101頁)
「私力の行使(自力救済)は原則として法の禁止するところである」
つまり本件は,相手方が私力で子の居所を変更したあとに,先に監護を開始して原審を申し立てており,その自力救済は,法律に定める手続によったのでは,権利に対する違法な侵害に対抗して現状を維持することが不可能又は著しく困難であると認められる緊急やむを得ない特別の事情があって認められるものであるが,そのような事情は当たらない。
つまり,相手方の自力救済は,その必要の限度を超え,例外的に許されるものではない。従って,原審は取り消すべき合理的な理由が事情として明確にある。
平成30年3月15日最高裁第一小法廷判決(平成29年(受)第2015号)
「子を監護する父母の一方により国境を越えて日本への連れ去りをされた子が,当該連れ去りをした親の下にとどまるか否かについての意思決定をする場合,当該意思決定は,自身が将来いずれの国を本拠として生活していくのかという問題と関わる」
ハーグ条約に批准したことで,国内での私力の行使(自力救済)禁止の原則は明確化されている。これは国内法で私力の行使(自力救済)が禁止されていなければ不作為が生じるのであって,そもそもハーグ条約に批准できない。
また私力の行使(自力救済)禁止の原則は「国境を越えて」という「国を跨ぐ」ケースとは別個に国内で評価されなければならない。なぜなら私力の行使(自力救済)禁止の原則は両性の基本的平等に立脚して制定されている法の基本原則であって,基本的人権が個々に保障されるものである。
殊更,国家間や国籍によって,原則が歪められるのであれば,身分による差別が生じる。
そこで,ハーグ条約に基けば,子の引き渡しを請求する手続きは,日本の国内法において私力の行使(自力救済)が相手親の監護権侵害と評価される。
つまり本件は婚姻中であり,共同親権中に国内で相手方は,私力によって子の居所を変更しており,その後に相手方は子の意思を尊重せず拘束を続けているのであるから,申立人の親権が侵害されているというものである。
子は,連れ去りをした親の下にとどまるか否かについての意思決定をする場合,自身が将来いずれの地域を本拠として生活していくのかという問題が生じる。つまり相手方が子を連れ去る前の安定した生活基盤には,子自身にも社会的身分や信用が構築されていたのであって,子の福祉を守る観点から申立人の親権が妨害されているというものである。(国内であっても言語の問題については沖縄から東北など否定されない。つまり言語の害につき,その有無は問うものではない。)
そこで子らが,現在の環境下では,間接交流という債務名義が不十分であると解せる意見表明を,調査官調査を照らせば調査官に対して子が示しており,そのことを知りながら,原審で決まった債務である協議を無視し続ける相手方の拘束支配を照らせば原審は,そもそも私力の行使(自力救済)禁止の原則や禁反言の原則を評価しておらず,支配の強さを助長しているというものである。子らは意思に反して制限を受けており,権利(利益)を害されていることは明白であり,原審は子らの利益に資する実務運用には当たらないのであって,取り消されるべき事情が明白といえる。
2,子が適正に監護を求める請求権を保障しておらず,原審は取り消すべき事由がある。
最高裁二小決昭和59年7月6日(家月27巻5号35頁),最高裁一小決平成12年5月1日(民集54巻5号1607頁)を経て,平成24年4月1日に民法766条が改正され,非親権者(非身上監護親)にも子の監護の一内容として監護の権利が根拠を有することになった。
これは子が非親権者(非身上監護親)に対しても監護を請求できる権利が認められたものと解せる。また表裏には,親権者(身上監護親)に対して,適正監護を請求する権利,或いは利益の妨害排除を請求する権利に合致する。
つまりハーグ条約に基づき子の引き渡しを請求する手続きは,日本の国内法において私力の行使(自力救済)が非親権者(非身上監護親)に対して監護権侵害と評価され,子の有する非親権者(非身上監護親)への監護請求権や,親権者(身上監護親)への適正監護を請求する権利,或いは利益の妨害排除を請求する権利が害されている。
そこで親と子の自然権において,親による子に対して重大な権利の侵害がなければ,親と子とそれぞれ個別に保障されうる福祉として人格権以上に保障されなければならない。殊更,父子関係と母子関係とは個別にプライバシー(自己決定)が守られるものであって,一方の私力の行使によって偏らせれば,親と子の個別に有する自由権が保障されないのである。
昭和61年7月18日最高裁第二小法廷判決(昭和61年(オ)第644号(民集40巻5号991頁))
「意思能力がある子の監護について,当該子が自由意思に基づいて監護者の下にとどまっているとはいえない特段の事情のあるときは,上記監護者の当該子に対する監護は,人身保護法及び同規則にいう拘束に当たると解すべきである。」
平成30年3月15日最高裁第一小法廷判決(平成29年(受)第2015号)
「被拘束者が自由意思に基づいて被上告人の下にとどまっているとはいえない特段の事情があり,被上告人の被拘束者に対する監護は,人身保護法及び同規則にいう拘束に当たるというべきである。」
平成26年9月4日最高裁大法廷決定(民集67巻6号1320頁)
「子にとっては自ら選択ないし修正する余地のない事柄を理由としてその子に不利益を及ぼすことは許されず,子を個人として尊重し,その権利を保障すべきであるという考えが確立されてきているものということができる。」
これらから子は年齢に囚われず,有する権利は保障されるべきであり,子らの福祉に適した環境下,子の利益に資する環境下、子のケアに適した環境下で争われているか否かが争点となって然るべきである。
昭和54年3月30日最高裁判決(昭和51(オ)328)
「少なくとも親が故意又は過失によつて右義務を懈怠し,その結果,子が不利益を被つたとすれば,親は,子に対して不法行為上の損害賠償義務を負う
(中略)「未成年の子が両親とともに共同生活をおくることによつて享受することのできる父親からの愛情,父子の共同生活が生み出すところの家庭的生活利益等は,未成年の子の人格形成に強く影響を与えずにはいられないものであり,かつ,人間性の本質に深くかかわり合うものであることを考えると,法律は,それらへの侵害に対しては厚い保護の手を差し延べなければならない」
本件では調査官調査によって,調査官が子の意思を確認し,子の福祉に適した措置として子どもの手続き代理人を一方法と認めている。子は子どもの手続き代理人によらずとも利害関係人として自分だけで参加できると主張して,原審への参加を強く原審に求めている。
そこで子が利害関係人として,適正措置(妨害排除)を請求していることが調査官調査から示している点を照らし,現在,子らの発達環境が子らの福祉に適した環境下,子の利益に資する環境下、子のケアに適した環境下であるといった評価に至るには足りないことからも,妨害の排除(監護の適正措置)を求める意思が強いことが思料される。
従って,未成年の子にとって,人格形成に強く影響を与えている環境下に害が生じていると評価されるべきである。つまり子の(利益)権利につき,侵害を評価して,厚い保護の手を差し延べなければならないのはいうまでもない。子らにとって,現在の発達環境が不適切であるとして評価され,厚い保護の手を差し延べるべきであり,子らを利害関係人として請求権を認めることが,未成年子らの幸福追求権を保障することに他ならない。
そこで申立人は親権者であり,子の代理権が認められている。つまり子らの妨害を排除するための請求権につき,代理で手続きを求める権利は排除出来ず,子の福祉に適う発達環境を子が得るために,共同親権が両性の基本的平等に基づいて保障されるべきであって,原審は日本国憲法24条2項に反するというものである。
また親権者である申立人に限らず,非親権者(親密な直系血族)に子の適正措置請(妨害排除)請求につき,子を保護する権利として代理権を認め,申立人が死去しても非親権者(非身上監護親)の血統により相続される権利として保障されるべきである。これらが法で定められていないのは,不作為がある。
シングルペアレントの貧困問題,ネグレクト,虐待,心中などが子の福祉を主体とした社会問題として増加しており,非親権者である親や親密な直系血族は,単独親権制度(民法819条)によって親権者の虐待から子を救済でない実務運用となっている。親権の剥奪によって,非親権者(親密な直系血族)は子を守るべき全ての権利を恣意的に喪失されるはずもなく,監護の一権利は,非親権者も有するのであるから,子の年齢に囚われずに適正措置(妨害排除)を求める請求権として合致させて保障されなければ,子の福祉として人権が守られず,日本国憲法12条に反する実務運用となっている点があって,見直されるべき事情がある。
殊更,子の最善の利益が優先されず,身上監護者の私力が優先されるといった実務運用の問題増加を防ぐために,裁判所は,私力の行使(自力救済)がまかり通らないためにも,子の利益に資すらない親権(身上監護権)の濫用が子の福祉に適さず,家事事件において,自力救済禁止の原則に反する,その起点を争点として着目し是正して頂きたい。
3,原審の債務名義は子に対して適正な措置ではないから,原審は取り消すべき事情がある。
最高裁二小決昭和59年7月6日(家月27巻5号35頁),最高裁一小決平成12年5月1日(民集54巻5号1607頁)は,非身上監護者(非親権者)による子の監護が子の発達環境にとって適切な措置を求めるものであり,子の福祉を主体として認めたものである。
平成25年12月13日東京高裁決定(平成25年(ラ)第1733号)
「原告及び被告らはいずれも,まず,夫又は妻としてのお互いに対する敵対感情はひとまず措いて,お互いに相手が未成年者の母親であり,父親であることを改めて認識し,未成年者のためにその限度ではお互いを認め合い,そのことを未成年者が肌で感じて,面会交流に対する精神的な安心感を得られるよう努力することが肝要である。当裁判所は,そのような考えに立ち,上記のとおり,原告も被告らも,お互いに未成年者のために我慢し,協力して,2回に1回は被告らも同席した上で原告と未成年者との3人での面会交流を実施し,未成年者のための面会交流であることをお互いに再認識して,面会交流に対する信頼関係を確立すべきであると考える。」
平成21年1月16日大阪高決(家月61巻11号70頁)
「子と非監護親との面会交流は,子が非監護親から愛されていることを知る機会として,子の健全な成長にとって重要な意義がある」
平成18年2月3日大阪高決(家月58巻11号47頁)
「非監護親の子に対する面会交流は,基本的には,子の健全育成に有益なものということができる」
平成15年1月20日東京高決(家月56巻4号127頁)
「子は,父母双方と交流することにより人格的に成長していくのであるから,子にとっては,婚姻関係が破綻して父母が別居した後も,父母双方との交流を維持することができる監護環境が望ましいことは明らかである」
上記判例についても,民法766条に基づく面会交流の趣旨とは最高裁二小決昭和59年7月6日(家月27巻5号35頁),最高裁一小決平成12年5月1日(民集54巻5号1607頁)の通り,子の福祉を主体とし,子と非身上監護者(非親権者)に保障された監護の権利に基づくものである。殊更,身上監護者(親権者)の葛藤に左右されるならば偏頗があるというものである。夫婦の離別が子にとっての両親いずれかの離別とならないために保障される監護の権利であって,夫婦(両親)の紛争に関係がない。
つまり債務名義については,間接交流であっても面会交流の趣旨に則って実務運用が行われるべきであり,年齢や能力を判断し,監護権者(親権者)として両親が平等に子をケア出来る実務運用が行われるべきである。
このことを照らせば,子にとって適正措置(妨害排除)を求めるべき合理的理由としては,子が非身上監護親(非親権者)から愛されていることを知る機会を十分得ることが出来ているか否か,父母双方と交流することにより人格的に成長していく機会を十分に得ることが出来ているか否か,つまり子の健全育成につき,利益に資する運用が行われているか否かを一判断されるものと解される。
本件では,調査官調査で,子が身上監護者に聞かなければ意見表明できないという子の依存を照らせば,子にとって適正な監護環境ではないということが一理由として照らされるのであって,その適正措置を求めていると評価すべきであるから,申立人は代理で請求すべき合理的理由があるとして事情を照らすことが出来る。
また調査官調査で,子が利害関係人として原審に参加を請求した理由には,子の利益に資する運用が行われていないという事が一理由として照らされるのであって,その妨害排除を求めていると評価すべきであり,申立人は代理で請求すべき合理的理由があるとして事情を照らすことが出来る。
殊更,子らは申立人との面会交流を明確に拒否しておらず,希望しているのである。調査官調査の内容からは,通信や接触を含む面会交流が子ら自身の利益にとって,間接交流という債務名義によって子らの自由権が制限されていることから,相手方の監護に対して適正に行われていないことを感じており,その妨害を排除すべく適正措置を強く要求していると評価できるものである。
つまり本件は,共同親権中に身上監護権以外の権利を相手方が私力で妨げ,子の健全な成長にとって重要な意義がある面会交流につき,子の健全な発達に不可欠な4歳や6歳という幼少期から約5年もの間,子を心理的にもケアせず,債務として明文化されている協議を行わず,ただ拘束支配を続けることに,重大な権利侵害が評価されなければならない。
夫婦(両親)の葛藤より受ける子の精神的負担は,通常の生活面において基本的に身上監護者によるものである。つまり子にとって支配の強さは心理的抑圧であるから,身上監護者の葛藤だけを配慮して判断すれば,それによる子の依存を照らしておらず,偏頗が顕著である。裁判所は子の利益を最優先に実務は運用されるべきである。つまり未成年子が両親の存在を肌で感じて,精神的な安心感を得られることが,子の健全な発達に貢献する子の利益であり,子の利益に欠けるところがあれば,子の健全な発達に欠ける所が生じるというものであって,子に精神的負担が大きく生じ,子の将来に影響があるといえる。
つまり,その限度を超えると子に精神的疾患が生じる懸念も拭えておらず,精神的虐待となりうるのであるから,仮に夫婦に葛藤があるからという理由で,自力救済や拘束支配に対して権利侵害を評価しないことは,そもそも基本的平等に反する。
フランス民法典288条
親権行使をしない親は,子の養育及び育成を監督する権利を保持する。
フランス民法典373-2-1条
(父母の)訪問権および宿泊させる権利は,重大な事由によるのでなければ,他方の親に対して拒否できない。
※ 子の利益のための面会交流(法律文化社)235頁以下)
上記フランスの訪問(面会)権を比較法として照らせば,フランスの共同親権制度のもとでは,父母の訪問(面会)権の規定は,例外的に単独親権となった時のみに適用される。そして,単独親権者とならなかった親が訪問(面会)権を行使する場合には,「重大な事由」がなければ,その親の訪問(面会)権は否定されない。この訪問(面会)権は子の健全な発達や養育及び育成を監督する権利としても認めているのである。
つまり本件のように共同親権中の場合,この比較法的見地は重要な評価材料であるが,単独監護下で育つ子に対しても評価すべき理由がある。それは子が年齢に囚われず,非親権者に監護を請求したり,児童相談所に適正措置を請求したり,裁判所に手続きを請求したり,監護地や学校などで個人のプライバシーを求める,様々な未成年子の請求する権利は,合理的理由があれば,その適正措置を求める代理権は,非身上監護者(非親権者)や親密な直系血族に認められてしかるべきである。
親権の中で,この身上監護権のみを取り出して,親が子どもを監護し教育する権利義務を「監護権」と呼んでいる実務運用があるが,最高裁二小決昭和59年7月6日(家月27巻5号35頁),最高裁一小決平成12年5月1日(民集54巻5号1607頁)を照らせば,監護権とは,子どもの世話や教育を通じて愛やぬくもりを伝える両親の権利義務であって両親に有する権利として保障されるものであるし,身上監護権とは,より分け区別されるものである。
身上監護権者が監護の絶対的権利者という実務運用が行われるから,身上監護権者の支配の側面の強さや私力の行使を助長させることとなる。このことにより子らの適正措置(妨害排除)請求権がよく照らされないのである。
そこで両親に監護の権利を有することと,子が監護を請求する権利とは,常に合致させ,その代理権を監護権者に認めるものでなければならない。父性原理習得及び母性原理習得,両親から平等に受ける教育や愛育に欠けるところがあれば,両親が子らの心理ケアを施すべきであるし,子の利益を害することがないよう監督責任が生じるものである。
ここは丁寧に説明するが,子が自分の思想,良心,宗教,道徳,哲学,趣味,など様々な能力を構築することは,言葉の読み書きが困難な時期から子が両親から習得することが大いにある。スポーツや音楽などに限らず,能力とは幼少期から感性は育むものである。後に集団生活において社会的に習得していくものもある。つまり原審の債務名義は子の利益に資すらず,権利侵害があるというものである。
ところで子は,連れ去りをした親の下にとどまるか否かについての意思決定をする場合,自身が将来いずれの地域を本拠として生活していくのかという問題が生じるのと同様に,自身が将来いずれの能力を主体として生活していくのかという問題が生じる。子は能力を育むにあたり両性から平等に習得しうる一方が欠ければ,子は選択の余地なく偏る。そもそも人によって考え方が違うのであるから,夫婦の考え方が違うという理由で,自分の考えで育てたいと固執して,また相手親から隔離するということが支配の側面を強くするものであって,子に依存が生じるというものである。
本件で子らに安定した生活基盤である様にみえても,子には不平等が生じているのであって,子の福祉を守る観点から申立人の親権が妨害されている,或いは子が自由に人格を形成するための適正な監護を求める権利や申立人に対して健全な発達を求め愛育,成育を請求する権利が妨害されているというものである。
つまり親と子の身分上で形成する思想や良心,宗教観などは,父子関係で習得するものもあれば,母子関係で習得するものもあって,それは子にとって両親から教育を受ける権利を制限されるものではない。また親から受ける成育や愛育も原理習得も全て一教育であって,子らの能力に応じて父子関係と母子関係とは平等に受ける子の権利を保障しなければならない。
裁判上の離婚の場合には,父母の一方を不合理に親権者と定める規定(民法819条)が存在するが,監護につき共同権利者の,どちらか一方親から全監護権を喪失させうる私力の行使は,子の権利に対する重大な侵害が明らかである場合に限定されるのであって,同様に面会交流についても,間接交流などの制限は子に対する権利侵害が明白である場合に限定されるものである。
つまり本件は間接交流すべき合理的理由はない。子らは申立人と通信や交流を十分に行うことが出来ておらず,面会(訪問)は約5年の間,制限され続けている。現に示された債務名義につき,相手方による子に対する十分な心理的ケアが行われておらず,申立人による子に対する権利侵害は,明確に示されていないままに,子は,健全な成長に欠かせない申立人からの成育や愛育を受けることが出来ていない。
殊更,本件は父子と母子が個別にプライバシーを確保できていない環境下で偏りによる依存があって,子は,健全な成長に欠かせない申立人からの成育や愛育,原理習得など一教育をひとしく受けることが出来ていないことから,日本国憲法19条,同20条,同26条1項(前段)に反するものである。
昭和54年3月30日最高裁判決(昭和51(オ)328)
「少なくとも親が故意又は過失によつて右義務を懈怠し,その結果,子が不利益を被つたとすれば,親は,子に対して不法行為上の損害賠償義務を負う
(中略)「未成年の子が両親とともに共同生活をおくることによつて享受することのできる父親からの愛情,父子の共同生活が生み出すところの家庭的生活利益等は,未成年の子の人格形成に強く影響を与えずにはいられないものであり,かつ,人間性の本質に深くかかわり合うものであることを考えると,法律は,それらへの侵害に対しては厚い保護の手を差し延べなければならない」
つまり本件の債務名義は,親子の身分関係を保障しておらず、子が積極的にプライバシーを求めることが出来ず,明らかに適正な措置ではない。子は国民の一人として私生活上の自由が、司法に対しても保護されなければならない。相手方により子が害されていて,その損害賠償を請求する子の権利すら保障されうるものであるから,一般的行為の自由権と子の人格的に利益を守る権利の両方が害されており,日本国憲法13条及び同14条1項に反していて原審は取り消すべき事情がある。
以上
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